リヒテルズ直子

オランダから地球市民社会と教育を語る

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ついに来た、市民社会の曙ーーー安保法案強行採決とシールズの動き

国民性とか文化の違いとかではないはず

 私は、そもそも、社会意識のあり方について、あまり「国民性」とか「文化」という言葉で切り捨ててはいけないと思っている。人間は、国や文化によってそれほど大きく異なるものではない。笑い、喜び、悲しみ、苦しむ人間の感情、その原因を作っているものは、国民性や文化には関係ない。異なるのは、文化や国民性を規定する環境要因だ。文化(culture)はもともと自然(nature) と戦いながら人間がよりよく生きられるために努力した結果できてきたものであるはずだ。みんなが幸福に生きるため、健康で衣食住に事足りるためという普遍的な人間の希求に対して、それぞれの所与の自然条件の中で工夫してできたものが「文化」だ。

 シールズの学生達が、声を上げ始めた。しかも、その声は、あの、60年代や70年代の安保闘争の時とは明らかに違う。私が小学生から高校生にかけて起きたあの安保闘争には、何か、日本的な集団がイデオロギー闘争の中に吸収されていくような馴染めないものがあった。それは、一人一人の自立した人間の、誰にも拘束されない自由な思想が認められ、それが運動となっているというよりも、運動が先にあって、学生達は、底に「同意するのかしないのか」を迫られる、というような、息苦しさがあった。連合赤軍の浅間山での内ゲバ殺人事件などは、そういう側面をいやがうえにも強調していて、率直なところ、嫌悪感はあっても同調する気になど全くなれるものではなかった。あの頃の日本人の若者には、まだ、「市民」とか「民主意識」とか言ったものが一般的には消化されきっていなかったのではないか、という気がする。

 当時私が通っていた中学校では毎週一回「ホームルーム」が開かれ、形式だけのクラス会議が開かれていた。生徒会もあったが、何か、優等生が代表で出かけて行き、教員らとおざなりに話し合うだけの会だった気がする。扱う問題は、あまり、切迫感のあるテーマではなく、世の中の時事などはとても取り扱えなかった。おざなりのクラス会議にいることすら、面白くもなく、「民主主義ってこんなものなのだろうか」と思っていたのを思い出す。本気で政治問題を取り上げたよその学校の生徒は、「問題児」とされるような時代だった。


非西洋の後発近代化諸国の近代化

 近代は啓蒙思想を基盤として市民革命を経て始まるものだ。近代国家は、王権やキリスト教教会の権力から解放され、自思想の自由、良心の自由を保障された市民間の約束事としての「法治」を前提とした国家だ。

 しかし、実際には、ヨーロッパでも、創設期の近代社会は、産業革命の影響を受けて、生徒に「市民」としての行動を教えるものというより、「労働者」の育成に向けられたものになっていく。それが、労働者に必要な知識を教師が一方的に教室に座った子供達の際に関わりなく伝達し、その結果をテストするという画一一斉授業とテスト文化の始まりだ。

 日本が明治維新後にヨーロッパを模倣して始めた学校とはまさにそういうものだった。校舎は座学から板張りの机と椅子となり、黒板を背に教員が教壇に立つ、、、。この形式が、日本では、以後いまだに、百数十年もの間継承されている。

 二つの対戦を経て、植民地を失ったヨーロッパは、戦災と帝国主義支配の喪失の中で、元来の近代思想である市民社会を根底から問い直されることとなる。徐々にではあるが、学校は変わっていった。画一一斉知識偏重教育から、個別発達重視の全人的教育へと重点を移し替えて行った。その発展の差は、国別に見るとかなり大きい。どちらかというと、北欧やオランダなど中部以北の国が進んでいる。もともと序列性の高い教会文化を温存しているカトリック系の国は、どちらかというとこの変化には遅れがあるように思われるが、それも、現在、速いテンポで変わりつつある。

 しかし、それにしても、日本の学校はなぜ変わらないのだろう。

 それは、おそらく、こうしたやり方が、優れたエリートの選抜と大量の質の高い(従来型の)労働力の供給に対して、効率的に寄与するものであったからだろう。実際、ものをゆっくり考える時間を与えたり、何かクリエイティブなことに取り組む場や時間を用意したり、子どもたち一人一人の個性やテンポに合わせた指導をするのには手間暇がかかる。しかも、そうして、子ども達が個性を尊重され、発言を尊重されるようになれば、為政者たちが勧めたい政策に対していちいち反対意見を述べる市民が大量に生産され、彼らの思い通りの社会づくりはできなくなる。

 おそらく、欧米先進国に追いつけ追い越せと思っている国ほど、こういうやり方で、形だけの近代化、つまり、高層ビルが立ち並び交通網が発達した巨大な都市が林立するような近代社会を作ろう、または、今も作っているのではないか。


核に象徴される物質のみの近代化の行き詰まり

 西ヨーロッパの国々ががこうした物質的な近代から脱出し始めるのは、60年代後半だ。

 第2次世界大戦まで「中立」国だったオランダは、戦後、西側諸国とともにNATOに加盟し、若者たちは徴兵制によって冷戦対立中の東側からの攻撃に対して準備することとなった。それだけに、キューバの危機で急速に高まった核戦争への緊張は、若者たちの抗議運動を導くこととなった。オランダで反核運動を展開する若者たちは、原発設置にも敏感に反応した。彼らはやがて、女性解放、同性愛者の権利運動、安楽死合法化運動、そして、世界各地で起きている人権蹂躙に対して投書をして抗議するまでになっていった。

 そこには、確かに、西洋の近代哲学、啓蒙思想が彼らの伝統的文化の中にあり、この近代の根源的な原理に立ち返る運動であったと言えば言えなくもない。

 しかし、シールズの運動にも、それに通じるものがある。

 シールズの運動の指導的役割をしているものの中には、2011年3月11日の原発事故が考えるきっかけだったというものがいる。放射能の拡散と核兵器使用によって、人類社会を破滅させる可能性を大きく含んだ原発、それ以上に、拝金主義の政治家らが進める原発再稼働と原発輸出の動き、それは、これから50年以上もの間地球に生きていく今の若者たちから見れば、あまりにも大きな問題だ。これからの世界、他国の人々と手を取り合って、平和で安全な地球社会を作っていかなければならない彼らにとって、あまりにも厳しい条件を、日本という国は作ってきている。 

 ソビエト連邦や東欧と軍事対立していた60年代のヨーロッパ諸国の若者たちが、膨大な数集まって反核運動を起こしたのと、ほぼ同じ感情が、今の日本の若者たちにはあるような気がする。後ろは崖っぷち、というような、引き下がることもできない閉塞感が、突き破るような抗議運動を起こしたのではないか、、、。

 それまで、キリスト教の倫理観に従順に従い、世の中でタブーとされていることには口出しをしない、どちらかというと閉塞感の強い、ヨーロッパの中でも保守的と言われていたオランダが変わったのは、こうした若者たちの運動からだった。

 しかも、若者たちは、大人に対して単純に反発するのではなく、大人たちを巻き込んで行った。何も書いていないシーツを横幕のように持って街に繰り出す若者たちを取り締まる警察官に対して、「どうして何も書いていないのに捕まえるの」と笑った。権威主義を批判しても、人を排除することはなかった。

 もし「どうしてオランダは今のような社会が作れたのですか」と聞かれたら、この時の若者たちの純粋さ、そして、大人をも同胞として巻き込もうとしていった懐の深いユーモアの精神だった、としか言いようがない。

 それほどまでに、追い込まれていたのだ、彼らは。


学校を変える・教育者が声を上げる

 その時に変わったのが学校だった。

 それまで、ごく少数しかなかったしんきょういくの学校に人々の関心が向いて行った。若い親たちは、自分の子どもが「労働者の卵」「one of them」と扱われることに我慢がならなくなっていった。子どもの個別の発達と、子どもの協働による全人的成長、世界で起きているホンモノの事物への関心、民族の違いや障害の有無などによって人を排除することのないインクルーシブな思考、そして、教師が子どもたちを自分と同じ「市民(の卵)」として待遇する態度、そうしたものが、徐々に徐々に議論を経てオランダの学校の常識になっていくのである。

 オランダのイエナプラン信奉者たちは、ここでも極めて大きな役割を果たしている。彼らは、自分たちだけでユートピアのようなフリースクールを作るのではなく、公教育の真ん中に乗り出して行った。最初の指導者フロイデンタールは、大学に抗議に出かけ、文科大臣を交渉し、新初等教育法の改正で重要な役割を果たした。彼女と共に当時イエナプラン教育の普及運動に携わった若い教師たちは、今、80歳ぐらいになるが、今でも、学校に対して政府の不当な圧力がかかってくると、抗議交渉に出かける信念の強い人たちだ。

 イエナプラン教育に限らず、現在のオランダの学校では、民主的シチズンシップ教育が義務付けられている。

 民主的シチズンシップ教育は、自立した自己を持ち、自分とは意見の異なる他者を受け入れ、他者との議論を経て持続可能性の高い地球社会の建設のために社会参加する人間を育てるためのものだ。そのために必要なスキルは、人の言うことを鵜呑みにせず自分の頭でしっかり考え直してみる<批判的思考>、相手を排除しない<コミュニケーション能力>、困難な状況の中からも他者との議論を通して独創的で斬新なアイデアを生み出す、<クリエイティビティ>といったものだ。


必要なのはお互いを排除しない、しなやかな市民運動

 シールズの学生たちの運動を見てみるとどうだろう。

 ただ抗議の叫び声を上げるだけではなく、とても独創的でスマートな方法で人の心を掴んでいる。ソーシャルメディアの利点を生かして広く自分たちの活動を知らせている。国会前でマイクを片手に語る彼らのスピーチは、気取りも形式もなく、心からの声だ。かつて60年代や70年代にありがちだった独善的なイデオロギー議論と反対者を排除するような雰囲気はそこにはなく、それぞれがありのままで関われるしなやかな市民性と、相手の出方に合わせて戦略をいくらでも買えるに足る学習意欲と工夫が感じられる。

 この運動は、きっと、日本社会の閉塞を打ち破る力になるはずだ。

 すでに、彼らが本音の声を上げ始めたことで、大人たちも声を上げ始めた。これまで「はばかられる」と思われた言葉をメディアやスピーチで吐くようになった。クローズドな社会が、やっと近代民主市民国家らしいオープンな社会へと重い扉をこじ開け始めたようだ。

 春は近い。だが、春を迎えるには雪の日もあるだろう。日本の現状は決して甘いものではない。国際的な力関係が、国内の議論だけでは抱えきれない問題を突きつけてくるかもしれない。それだけに、声の広がりが望まれる。声を広げ、自分も声を上げていけたら、と思う。避けてはいけない問題を避けてはいけない。春の後には、必ず厳しい夏がやってくる。革命の後には、必ず混乱と反動が起きるものだから。それを乗り越えるためにも、今、日本の政治について、皆が、頭を駆使して学び考え、自分の心に従って行動しなければならないのだと思う。